一昨日夕方ある会合で東大工学部足立芳寛教授(京都大学工学部卒、通産省を経て昨年10月現職に就任)の”新しい産業の想像と大学の役割”というお話を伺いました。先生は東大工学部とMIT, Stanford及びUC Berkeleyと比較して日米の大学の課題をお話になられました。私も米国の優れた大学の有り様に関心を持っておりましたので大変興味深く拝聴しました。お話の中で印象的だった点を私なりの理解で少し述べさせて頂きます。
これらの米国の大学の収入は学生からの授業料と産業界、ベンチャー企業からの寄付によってその大部分をまかなわれています。(大学自身がベンチャーとして稼ぐ額は必ずしも多くなく、日本では誇大に評価されているようです。)大学はスポンサーに高度の学識、能力を持つ人材を送り込むことによって彼らの期待に答えるとともに、学生に対しては授業料が高いがこの大学で勉強すれば将来高収入が得られることを例証し、学生の間に大学の人気を高め優れた学生が集まってくるように努めています。こうした市場原理がドライビイング・フォースになって大学は常時活性化されていると先生は強調されていました。例えばスタンフォードの授業料は年間数万ドルと極めて高額ですが、学生にとってはこの大学で学ぶことによってより多くの収入が得られる将来があるからこの大学に入ってくるというのです。
大学が教官に決まった給料を払うのは夏期休暇3ヶ月を除いた年9ヶ月のみです(これは州立大学でも同じです)。この定額の給料も大学が自ら支出するのは70%で残り30%は外部資金だそうです。残り3ヶ月は先生は大学に一切拘束されることなく外国の大学で夏季講座を開いたり、企業のコンサルタントをしたり、あるいは著作に励んだり何をしても良いそうです。9ヶ月分の大学の給料よりこの3ヶ月の稼ぎのほうが多い方も大勢いるそうです。こうした中で大学が教官に対して絶対的に求めているのが年間に発表される論文の数と質だそうです。学生に人気の高い講座を持ちながら優れた研究報告を次ぎ次と発表していくのは大変な努力と能力が求められます。
私は一言でいえば米国の大学はエリートを集め、エリートを育て、エリートを社会に供給するのを使命としていると思います。この目的の為には学生の質(同時に教官の質)の問題が重要と思います。日本の大学を良くするにはこれが一番肝心であり、それには大学の入学者選抜方法を変えるのがその手始めと思いますのでその事に触れたいと思います。
先日アーカンソー大学の工学部の卒業式を見学させてもらい、優秀な成績を修めた学生に次の栄誉が与えられるのを知りました。
Summa Cum Laude 最優等賞(クラスの一番に普通与えられる)
Magna Cum Laude 次席優等賞(クラスの二番に普通与えられる)
Cum Laude 優等賞(クラスで一人か二人に過ぎない)
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この事は卒業式場で配布された卒業生名簿にも発表され、黒いガウンと角帽のほかにその栄誉を示す長いリボンを首からかけて式に列席していました。そして全米的に組織されている優等賞受賞者の組織に会員として登録されます。(全米的に受賞者の資質のレベルが揃い大学差が出ないよう試験選考過程のチェックが厳密行われているそうです。)左の写真は配布された卒業生名簿(土木学科用に私が編集しました)です。 |
前にも述べましたが(1999年5月9日の日記参照)、知人の娘さんが土木学科を二番で卒業しました。スタンフォードを始め四つの大学から大学院への入学を認められましたが、彼女は一番授業料の高いスタンフォードを選びご両親はその高額負担に困惑気でした。しかし優れた才能を持つ彼女が将来より高い収入を得るための投資と考えるのが米国社会の常識のようです。
高校から優秀大学に入るにも厳しい選考過程を経ることは前にもご報告しました(4月5日の日記)のでここでは繰り返しませんが、要は米国社会がエリートを見出し育て、かれらのリーダーシップのもとに米国の豊かさを築いていくというコンセンサスが出来ているように思います。
更に米国の大学の特徴的なことは米国内のみならず全世界から優秀な学生を集めている(あるいは集まってきている)ことです。
日本の議会・政府の科学振興策はお金を出し、大学が開発研究しているであろう新研究・技術を民間が利用しやすい環境を作ることに重点が置かれているようです。しかし一番重要なのは人的資源の発掘である筈です。東大に来る海外からの留学生の数も少なく、必ずしも質がよくないそうです。このままでは世界の田舎大学の一つとして存在するにとどまる恐れ無しとしません(これも伝聞ですが、最近の世界大学ランキングで日本で最高は京都大学で45位、東大は二番目で60位以下だそうです)。