昨日お訪ねした菅野先生の息子さんとお昼をご一緒しました。そして今なお先生がステレオ・カートリッジ光悦の製作に大変な努力をしておられることを伺ういました。
![]() |
光悦が米国オーデイオ界で優秀さを認められたのは1970年代の後半からと云って良いと思います。特にオニックスを筐体に用い5Nの鉄粉で作られた高性能マグネットを使用した光悦が発表されるとThe state of artのカートリッジと賞賛されるようになりました。 |
手作りで一年間に60個ぐらいしか供給されないため、人々はその入手に狂奔したようです。30個なり60個なりまとまった数にして出荷されるため、米国への供給が間欠的になり、菅野さんが亡くなられたという噂がこれまでに何回か流されました。
| 1982年の春にはこの種の噂が特に広く流布されたため、the absolute soundというマニア向け雑誌に投稿し、先生が病気で入院はされたが、今は大変お元気で新製品な開発に努められている旨伝えました。それが同誌の1982年6月号volume 7 number 26号に掲載されました。 |
![]() |
![]() |
1988年the absolute sound誌の15周年記念行事としてこの間に世界のオーデイオ界進歩に多大の貢献した人々の選考・表彰が行われました。ステレオ・カートリッジ光悦の制作者として菅野さんはGolden Ear賞を授与されました。部品の制作者としては次の7部門7名の方が米英を中心とした40人以上の著名評論家からなる選考委員会により選抜、表彰されました。
![]() |
多分5年前頃だったと思いますが脳梗塞で右手、右脚がご不自由になられました。そこで左手だけで絵を描けるように努力され小品を制作されるようになっておられました。この頃から私の海外旅行も頻繁になりすっかりご無沙汰するようになってしまいました。この間にお年も90歳を超し、右手、右脚のご不自由が進み、外出は車椅子に乗られるようになられました。
こんなことで光悦の製作は中止されいると思いこんでいたのですが、原材料部品の入手が以前よりずっと困難となった厳しい環境下でその製作継続に努力していると今日息子さんから聞いてびっくりしました。
例えばオニックスの筐体をカット出来る職人が甲府にもいなくなってしまったそうです。台湾の職人が精度は悪いが一応カット出来るというので磨き代を残した大きさに作らせ、甲府の職人に磨き上げをしてもらうという方法を試しているそうです。
また純度の高い鉄を作るのもメーカーが経営合理化で中止したので、4Nの鉄でマグネットを作り、これを焼き入れする方法を進めているとのことでした。
体が不自由であるにもかかわらずこのような努力をしておられることを初めて知りました。米国での販売も再開されましたが、こちらからの出荷値段の二倍以上で売られているそうです。オーデイオ・ファンが米国でも激減している今日オーデイオ店の経営も大変らしいですが、光悦を一個売れば一ヶ月は食べていける程のマージンを取っているとの話でした。
昨日先生にお会いした時顔色も良くお元気に見えましたが、このような努力をしておられるからこそかとあらためて感服しました。